
こんにちは、こけしママンです。
1972年に池田理代子さんによって描かれた不朽の名作『ベルサイユのばら』。当時熱狂的なファンを生んだ事でも知られていますが、そこから四半世紀を経て、ティーンエイジャーだった私の心を撃ち抜き、私をフランス革命オタクへと変えました。
架空の男装の麗人オスカルが仕えた女王こそ、断頭台の露と消えることとなるマリー・アントワネット。日本では特にこの作品のおかげで同情的に見られている側面もあります。
2026年夏に横浜で開催された『マリー・アントワネット・スタイル展』は、連日長蛇の列ができるほどで、彼女の人気ぶりを示していました。実際に私も足を運びましたが、死後250年近い現在も人々を惹きつける彼女の存在を改めて見つめなおすきっかけとなりました。
今回は、日ごろ自分の家系調査をしている私が、マリー・アントワネット夫婦の家系図を見て彼らの血縁関係の実像を深堀していきたいと思います。
※本記事に登場する人物名は、基本的に日本語版Wikipediaの表記に準じています。ただし神聖ローマ帝国・ドイツ語圏出身の人物とフランス語圏出身の人物などが入り混じっているため、同一人物でもドイツ語形とフランス語形など、表記にゆれがある場合があります(例:ルイ16世の母は「マリア・ヨゼファ・フォン・ザクセン」ですが、フランス語形では「マリー=ジョゼフ・ド・サクス」)。マリー・アントワネットやマリー・テレーズのように、フランス語名の方が広く知られている人物については、フランス語表記を優先しています。
汝幸いなるオーストリアよ、結婚せよ。


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Bella gerant alii, tu felix Austria nube.
戦いは他のものに任せよ、汝幸いなるオーストリアよ、結婚せよ。
この言葉は、婚姻で勢力を伸ばしてきたハプルブルク家の拡大戦略を象徴する格言ものとして知られています。婚姻外交を通じてヨーロッパ中に同盟勢力を広げてきたハプスブルク家。実際に、他の兄弟姉妹のように、マリー・アントワネットもわずか14歳で、長年の宿敵であったフランスとの同盟のために、肖像画でしか見たことのなかった後のルイ16世のもとへ嫁ぎました。
しかし、あらためてルイ16世夫婦の系図を見てみると、全くの他人どころか、何重にも血の結びつきがあったことがわかります。家系図を紐解き、彼らの血筋を見てみましょう。



マリーアントワネットの母のマリアテレジア自身は、フランツ1世と恋愛結婚でした。フランツ1世の生家(ロレーヌ家)は本来皇帝を出す家柄ではありませんでしたが、女性の即位を認めない帝国の法律上、マリア・テレジア自身が皇帝になれなかったため、夫である彼を皇帝に据えて共同統治の形をとりました。
マリー・アントワネットとルイ16世は親戚?|共通の祖先から見る近縁関係


マリー=ジョゼフ・ド・サクスの肖像
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ルイ16世のマリー=ジョゼフ・ド・サクス(マリア・ヨゼファ・フォン・ザクセン)と、マリー・アントワネット自身は、共に神聖ローマ皇帝レオポルト1世とその妻の曾孫にあたり、彼女たち二人は「はとこ」同士です。


共通の先祖であるレオポルト1世は、マリー・アントワネットから見て3世代前、ルイ16世から見て4世代前。(彼らの子ども視点では4代前と5代前)近交係数(血の濃さの指標)で計算すると、レオポルト1世とその妻エレオノーレ・マグダレーネの2人分を合わせて、約0.78%ほどの寄与になります。参考までに、いとこ婚は6.25%なので、この時点ではまだそこまで濃い関係ではありません。



近交係数については、このあと説明します。



世代数の隔たりが両者の間であるのは、マリー・アントワネットが第15子(第11女)だったという事情もあります。とはいえ、マリア・テレジアはこの時38歳。結婚後、妊娠と出産を16回も繰り返しながら、皇帝である夫フランツ1世に代わってオーストリアの実権を握り続けていたマリア・テレジアは、改めてすごい人です。
\DNA検査で夫の「はとこ」が見つかった!?現代科学の進化/


世代を遡ると、祖先は何人?家系図で理論値と比べてみる
ハプスブルク家の近親婚といえば、スペイン王カルロス2世(両親が叔父と姪の関係なだけでなく、代々同程度の近親者との婚姻が繰り返されてきた)が象徴的な例としてよく語られます。それと比べると、ルイ16世とマリー・アントワネットの血縁は、この時点ではまだ健康的な部類と言えそうです。
ただ、本当にそう言い切れるのか、2人の子であるルイ17世とマリー・テレーズの視点から、実際に祖先をさかのぼって確かめてみることにしました。


ルイ16世の胸像ごしのマリー・アントワネットとルイ・ジョゼフ、マリー・テレーズ
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ルイ16世とマリー・アントワネットの子は4人。第1子マリー・テレーズ、第2子ルイ・ジョゼフ、第3子ルイ・シャルル(ルイ17世)、第4子ソフィー。ルイ・ジョゼフとソフィーは残念ながら革命前に夭折している。
世代ごとに増える先祖の数
祖先の数は、1世代さかのぼるごとに理論上倍々に増えていきます。両親2人、祖父母4人、曾祖父母8人、そして6世代前(高祖父母のさらに親の代)まで進むと、理論上は64人の祖先がいるはずです。
| 世代 | 続柄 | 理論上の最大人数 | 最大累計人数 |
|---|---|---|---|
| 1世代前 | 両親 | 2 | 2 |
| 2世代前 | 祖父母 | 4 | 6 |
| 3世代前 | 曾祖父母 | 8 | 14 |
| 4世代前 | 高祖父母 | 16 | 30 |
| 5世代前 | 高祖父母の父母 | 32 | 62 |
| 6世代前 | 高祖父母の祖父母 | 64 | 126 |



これは先祖が一人も重複していない場合の最大値。重複した祖先がいる場合は、重複した分引いて計算することになる。
血縁の近さを数値化する|近交係数
ただ、家系図をたって、どこかで同じ先祖が重複する場合、それは叔父姪婚やいとこ婚というかなり近い関係で起こることもあれば、数世代離れて起こりうることです。
血縁の近さを測るものさしは、実は2つあります。1つは、前述の理論上の人数と実際の人数を比べる「頭数」ベースの見方(※重複がどの世代で起きたかは問わない)。もう1つが近交係数という指標で、こちらは重複がどれだけ浅い世代(=近い祖先)で起きたかによって数値が大きく変わり、健康リスクを測るにはこちらの方が本質的です。まずは頭数から見ていきましょう。近交係数の考え方や計算式については、別記事で詳しく解説する予定です。



重複がどこでおきたか問わない先祖の頭数を数えるだけの方法もあれば、重複がどの時点で起きたかで数値が変わる方法もあるということだね。
遡るほど出て来るフランス王家とハプスブルク家の共通祖先
実際にルイ16世側・マリー・アントワネット側、両方の系図を1本ずつ辿っていくと、神聖ローマ皇帝レオポルト1世とその妻の例だけでなく、同じ人物が繰り返し登場するのは珍しい出来事ではないことに気が付きます。系図を少しずつ詳細に見ていきましょう。
ルイ13世、アンヌ・ドートリッシュ


ルイ16世はルイ14世の子孫として、マリー・アントワネットはルイ14世の弟オルレアン公フィリップ1世の子孫として、それぞれ別の経路でルイ13世に行き着きます。
さらにルイ16世側だけをさかのぼっても、興味深い重複が見つかります。ルイ15世は、父方(ルイ14世経由)・母方(祖母アンヌ・マリー・ドルレアン経由)の両方から、曾祖父母としてルイ13世とアンヌ・ドートリッシュ(父はスペイン国王フェリペ3世)の血を引いていました。つまりルイ15世自身、両親がはとこ同士という「はとこ婚」の子どもだったのです。
ちなみに家系図には登場しませんが、ルイ14世自身も、のちに妃マリー・テレーズ・ドートリッシュ(父はスペイン王フェリペ4世、母はルイ14世の叔母にあたるフランス王女エリザベート)と結婚しており、父方・母方の双方でいとこ同士にあたる「二重イトコ婚」でした。
ハプスブルク家ほどではいないものの、フランス王家の中でも近親婚は珍しいものではなく、しかもその相手には、たびたびハプスブルク家が含まれていたことがわかります。



実際には、ルイ16世側の家系図にルイ13世が登場するのは、6世代先。 このあとの計算には入らないけど、マリー・アントワネット夫婦の共通祖先の中でもかなりの有名な人物だから、系図にしてみたよ。



そもそもルイ15世の時点で、父方・母方双方から高祖父であるルイ13世の血が入っている。間に3世代離れた関係であるため、これもまた健康上ほとんど問題のない婚姻と言えそうだ。



ただ、ルイ15世の母方の祖父母オルレアン公フィリップ1世とヘンリエッタ・アン・ステュアートも実は共通の祖先が3代先にいるはとこ同士だから、もしさらに先の世代まで数えるなら、話はより複雑になっていたね。
ヴュルテンベルク公エーバーハルト3世、アンナ・カタリーナ・フォン・ザルム=キルブルク


現在のドイツ南西部にあたり、当時神聖ローマ帝国内の領邦の1つだったヴュルテンベルク。エーバーハルト3世は、1628年、三十年戦争のさなかに父を亡くし、わずか13歳で公位を継ぎました。その後紆余曲折を経て、公国そのものが消滅しかねない危機を、幼くして即位しながら20年かけて食い止めた人物です。
彼が最初の妃として迎えたのが、ドイツ・ラインラント地方の貴族ザルム=キルブルク家出身のアンナ・カタリーナ・フォン・ザルム=キルブルク。1637年、公国の大部分を失い亡命先だったストラスブールで結婚しており、先行きの見えない時期の結婚でした。2人の間には17年間で14人もの子供が生まれ、うち9人が成人まで育っています。
その彼らの子供のうち、二人の女性が、それぞれルイ16世の母、マリーアントワネットの母へとつながっていきます。



そんな彼ら、まさか数世代のちに自分の子孫たちが、ヨーロッパ随一の大国フランスの王と王妃という頂点に立ち、そして揃って革命という形で民衆に命を奪われることになるとは、想像すらしなかっただろうね。



ちなみに、アンナ・カタリーナ・フォン・ザルム=キルブルクから、マリー・アントワネットの娘マリー・テレーズまでは女系※1本でつながっている。残念ながらマリー・テレーズは子孫を残さなかったけど、マリア・テレジアの別の娘の女系が現代まで生き残っていて、後年、ルイ17世のDNA鑑定は、その子孫のおかげで証明できたという秘話もあるよ。
※「女系」とは、母から娘、その娘からまた娘へと、女性の系譜だけをまっすぐ辿ったつながりのこと。ミトコンドリアDNA(mtDNA)は母親から子に受け継がれるため、この女系のライン上にいる人同士は、今でも同じmtDNAを共有しています。Haplo3.0でも、この母系のルーツを調べることができます([→母系ルーツの記事へ]
フェルディナント3世、そしてさらに過去の世代へ
前述のレオポルト1世よりさらに先の系図を見ると、その父、神聖ローマ皇帝フェルディナント3世のもう一人の妃、エレオノーラ・マグダレナ・ゴンザーガからの系図は、マリー・アントワネットの父フランツ1世に続きます。
フェルディナント3世は、マリー・アントワネットの父方の高祖父で、かつ母方の高祖父でもあり、ルイ16世の母方の高祖父の父という関係になります。


さらに、それより先の系図を遡ると、フェルディナント3世の父方の祖父オーストリア大公カール2世は、娘のマルガレーテ・フォン・エスターライヒを経由してルイ14世やその妻マリー・テレーズ・ドートリッシュに流れ、結果的にルイ16世夫婦の子供たちの血脈に幾重にも重なる網の目状に注ぎ込まれていくことが分かります。
血縁婚の結果の先天性疾患に悩まされていたカルロス2世(スペイン王、父はフェリペ4世、母はフェルディナント3世の娘マリアナ)と分岐の直前が重なることも、興味深いところです。



これだけ近縁婚を繰り返すとさすがに目立つね。何が背景にあるの?



領地や王位を一族内で死守したいという家門防衛の論理と、同格の王族・同教徒でなければならない厳格な宗教・身分規範が重なった結果、婚姻の選択肢はヨーロッパ全域でごく限られた血縁者に限定されることになったよ。



領地や王位のためとはいえ、これはやりすぎだ。



とりわけスペイン・ハプスブルク家はこの傾向が顕著なんだよね。その結果、他国や他宗派とも柔軟に縁組を結んで血の多様性を保ったフランスのブルボン家などとは対照的に、遺伝的リスクを抱え込み、最後は後継ぎが絶えてしまうという歴史的結末を迎えることになったわけ。
当時、カトリックの教会法では一般の人々に対しても、いとこ同士をはじめとする近親婚は原則として禁止されていまました。しかし、王侯貴族はローマ教皇から特別免除を得ることで、そのルールを回避することができたのです。その結果、領土の維持や血統の独占を優先して近親婚を繰り返したスペイン・ハプスブルク家は深刻な遺伝的リスクを抱え込み、皮肉にも最後の国王カルロス2世の代で断絶を迎えることになりました。
記録上の父親は本当の父親なのか|家系図に潜む血縁の噂
今回ご紹介したのは、あくまでも記録上の親子関係をもとにした家系図です。歴史上には、血縁上の父親が、記録に残る父親と異なるケースが実際に起こり得ます。


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たとえばルイ15世の母方の祖母、アンヌ・マリー・ドルレアンの出生には、当時からよからぬ噂がありました。記録上の父はオルレアン公フィリップ1世、母はヘンリエッタ・アン・ステュアート(イングランド王の妹)です。しかしこの夫婦仲は決して良好ではなく、フィリップ1世は男性の寵臣を寵愛することで知られ、一方のヘンリエッタは、義理の兄にあたるルイ14世と浮名を流していた時期がありました。当時の宮廷では、アンヌ・マリーの本当の父親はフィリップ1世ではなく、ルイ14世ではないか——そんな噂がまことしやかに囁かれていたのです。


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もしこの噂が事実で、それ以外の血縁関係がすべて記録通りだったとすれば。ルイ14世は、ルイ15世の父方の曾祖父であると同時に、母方の曾祖父でもあった——つまり「二重の曾祖父」だったことになります。真偽は今も分かりませんが、記録の裏側には、こうした人間ドラマが潜んでいるのかもしれません。
男系の家系図が記録と合わなかったリチャード3世


マリー・アントワネットとルイ16世の近縁度合いの計算結果
6世代前までの先祖の総数|126人のはずが、実際は112人だった
さて、本題に戻ると、理論上両親から6世代さかのぼると、累計で126人の祖先がいるはずです。ところが実際に、マリー・アントワネットの子供たちから系図を1人ずつ数えてみると、先祖の数の合計は112人でした。つまり、14人分の重複が見つかったということです。
内訳を見ると、5人分はマリー・アントワネット自身の系図の中だけで起きていた重複でした(彼女を起点に5世代さかのぼると、理論上62人のところ実際は57人)。
マリー・アントワネット自身の系図内での重複
| 先祖の名前 | 父方フランツ1世側の 世代数※1 | 母方マリア・テレジア側の 世代数※1 |
|---|---|---|
| 神聖ローマ皇帝 フェルディナント2世 | 6 | 6 |
| マリア・アンナ・フォン・バイエルン (フェルディナント2世配偶者) | 6 | 6 |
| スペイン王フェリペ3世 | 6 | 6 |
| マルガレーテ・フォン・エスターライヒ (スペイン王フェリペ3世の配偶者) | 6 | 6 |
| 神聖ローマ皇帝 フェルディナント3世※2 | 5 | 5 |
※1 記事の便宜上、マリー・アントワネットを1世代目として、彼女の子供たちの視点でカウント
※2 フェルディナント3世はルイ16世との共通祖先としても登場
残る9人分は、ルイ16世側・マリー・アントワネット側、両方の系図にまたがって登場していた人物でした。
マリー・アントワネットとルイ16世との系図内での重複
| 先祖の名前 | アントワネット父方 フランツ1世経由の 世代数※1 | アントワネット母方 マリア・テレジア経由の 世代数※1 | ルイ16世経由の 世代数 |
|---|---|---|---|
| オルレアン公 フィリップ1世 | 4 | 6 | |
| ヴュルテンベルク公 エーバーハルト3世 | 6 | 6 | |
| アンナ・カタリーナ・ フォン・ザルム=キルブルク (エーバーハルト3世の配偶者) | 6 | 6 | |
| 神聖ローマ皇帝 フェルディナント3世※2 | 5 | 5 | 6 |
| マリア・アンナ・ フォン・シュパーニエン (フェルディナント3世の配偶者) | 5 | 6 | |
| プファルツ選帝侯 フィリップ・ヴィルヘルム | 5 | 6 | |
| エリーザベト・アマーリア・フォン・ ヘッセン=ダルムシュタット (フィリップ・ヴィルヘルムの配偶者) | 5 | 6 | |
| 神聖ローマ皇帝 レオポルト1世 | 4 | 5 | |
| エレオノーレ・マグダレーネ・ フォン・プファルツ=ノイブルク (レオポルト1世の配偶者) | 4 | 5 |
これが、先ほどの頭数ベースの答えということになります。ただし、前述のとおり、この112人という数字は、重複がどの世代で起きたかを一切区別していないため、血の濃さを表す指標としては不十分です。次は、もう1つのものさし、近交係数を使って、もう少し正確に測ってみます。
血の濃さを測る近交係数
マリー・アントワネットとルイ16世の両家にまたがって登場する共通祖先を1つずつ近交係数という指標に置き換えて合計すると、彼らの子供たち、ルイ17世とマリー・テレーズの血の濃さを、より正確に数値化できます。



近交係数は、共通の祖先1人につき (1/2)^(片方の世代数+もう片方の世代数+1) で計算し、複数の共通祖先がいる場合はすべて足し合わせます。
マリー・アントワネットとルイ16世の子供たちの近交係数
ここではあくまでも「ルイ16世とマリー・アントワネットという夫婦2人が、どれだけ血縁が近いか」を計算で求めます。なので対象になるのは、両者の系図の両方にまたがって登場する共通祖先だけです。マリー・アントワネット自身の系図の中だけで重複していた祖先は、ここではいったん脇に置きます。
9人(10経路)の内訳
| 共通先祖 | ルイ16世側世代数 | マリー側世代数 | 計算式 | 値 |
|---|---|---|---|---|
| オルレアン公フィリップ1世 | 5 | 3 | (1/2)^9 | 1/512 |
| ヴュルテンベルク公エーバーハルト3世 | 5 | 5 | (1/2)^11 | 1/2048 |
| アンナ・カタリーナ・フォン・ザルム=キルブルク | 5 | 5 | (1/2)^11 | 1/2048 |
| フェルディナント3世(経路1) | 5 | 4 | (1/2)^10 | 1/1024 |
| フェルディナント3世(経路2) | 5 | 4 | (1/2)^10 | 1/1024 |
| マリア・アンナ・フォン・シュパーニエン | 5 | 4 | (1/2)^10 | 1/1024 |
| プファルツ選帝侯フィリップ・ヴィルヘルム | 5 | 4 | (1/2)^10 | 1/1024 |
| エリーザベト・アマーリア | 5 | 4 | (1/2)^10 | 1/1024 |
| レオポルト1世 | 4 | 3 | (1/2)^8 | 1/256 |
| エレオノーレ・マグダレーネ | 4 | 3 | (1/2)^8 | 1/256 |
通分して合計
全部を1/2048単位にそろえると:
- 1/512 = 4/2048
- 1/2048 ×2 = 2/2048
- 1/1024 ×5 = 10/2048
- 1/256 ×2 = 16/2048
4+2+10+16=32/2048 = 1/64 = 1.5625%



世代数が浅い(=血縁として近い)祖先ほど、指数が小さくなって寄与が大きくなる——ここではレオポルト1世とエレオノーレ・マグダレーネ夫妻(4+3世代)の寄与が突出して大きく、全体の半分(16/32)を占めていることが分かるね。この2人が、実質的にこの近交係数の主な要因と言えそうだね。
9人分の重複をもとに計算すると、合計は1.5625%——ちょうど1/64という、きれいな数字になりました。これは偶然にも、はとこ(又従兄妹)婚の近交係数と完全に一致する数値です。
つまりルイ17世とマリー・テレーズは、両親同士の血の濃さで言えば、はとこ同士の子とちょうど同じ水準だったことになります。いとこ婚(6.25%)の4分の1程度で、健康リスクとして問題視されるレベルには遠く及びません。
ここで面白いのは、この1.5625%のうち半分を、共通の祖先の中で最も血縁が近いレオポルト1世とその妻エレオノーレ・マグダレーネの2人だけが占めているということ。近交係数の計算は(1/2)^世代数という指数の仕組み上、1世代深くなるごとに寄与がほぼ半分になっていきます。つまり、もし7世代・8世代とさらに深く系図を追いかけて新しい重複が見つかったとしても、1件あたりの寄与は0.01%にも満たないほど小さくなり、全体の数字はほとんど動きません。



江戸時代末期までの自分の戸籍を辿ってて感じるのは、背景は違えども、この程度の近縁婚は、コミュニティの小さかった当時の日本でも実際に起こり得たレベルの血縁関係と感じますが、それにしても、何世代遡ったり、横の広がりを見ても近親婚を探すに事欠かないのには驚かされます。
近親婚がわずか数世代で進んだ理由
家系図は遡るほど同じ祖先が重複し、いずれ「ある時代の人のほとんどが現代の誰かの祖先になる」収束点に行き着きます。全人類の共通祖先が現れたのも、今からおよそ3,400年前と推計されているほどです。
ただしこの収束は、本来なら数千年かけて起きるもの。わずか4〜6世代でここまで重なったのは、当時の人口の少なさだけでは説明がつきません。結婚できる相手が、事実上ヨーロッパ中の一握りのカトリック王侯貴族に限られていたという、極端に狭いプールが収束を早めていたのです。
ただし、同じ狭いプールでの近親婚でも、スペイン・ハプスブルク家(カルロス2世を生んだ系統)ほど極端にはなりませんでした。フランス王家の濃い結婚は数世代に一度だったのに対し、スペイン・ハプスブルク家は毎世代のように近親婚を重ねていたため。この頻度の違いが、両家の運命を分けたといえます。



やがて、このフランス・ブルボン家の姻戚関係が思わぬ形でスペインで現代まで続いていくのですが、それはまた別の話です。
4人の子供たちの運命は、血の濃さに関係あるか?
ルイ16世とマリー・アントワネットの間には4人の子供が生まれましたが、成人まで生き延びたのはマリー・テレーズただ1人でした。
- 長男ルイ・ジョゼフ:乳母から結核をうつされ、脊椎カリエスを発症し7歳半で死去
- 四女ソフィー:1歳にならないうちに死去
- 次男ルイ17世(ルイ=シャルル):タンプル塔での隔離生活の末、10歳で獄死
4人中3人が夭折、と聞くと近親婚によって増える劣性遺伝病の影響を疑いたくなりますが、実際の死因はいずれも結核などの感染症、あるいは革命という特殊な政治状況によるものです。当時の乳幼児・小児の死亡率の高さを踏まえれば、この兄弟姉妹の運命は、血の濃さというより、時代と歴史の巡り合わせによるものだったと言えそうです。



中でも、革命の末に両親や保護者と離され孤独のうちに衰弱して亡くなったルイ17世については、その運命に同情を禁じえません。
プチ・トリアノンに見た、彼女の願い


マリー・アントワネットは作り物の長閑な風景の中で日々の喧騒から逃れて過ごした。
(撮影:こけしママン)
ここまで、ルイ16世とマリー・アントワネットの家系図を6世代さかのぼり、祖先の重複や近交係数を数字で追いかけてきました。ただ、視点を引いてみると、祖先が重なる現象自体は、王侯貴族に限った話ではありません。私たちホモ・サピエンスは、もともとアフリカから数千人規模で旅立ち、世界中へ拡散してきたと考えられています。数千年、数万年という単位でさかのぼれば、誰の家系図にも、数えきれないほど重複する祖先が存在することになるのです。
ルイ16世とマリー・アントワネットが特別だったのは、祖先が重なっていたこと自体ではなく、それがわずか数世代という目に見える早さで、しかも記録として残る形で起きていたことです。そう考えると、あれほど濃密な血縁の中に生まれた彼女が、ヴェルサイユ宮殿の敷地内にひっそりと佇むプチ・トリアノンに、人工の農村(アモー)まで作り、のどかな田園生活を望んだ事実が、どこか象徴的に思えてきます。巨額の費用をかけて偽物の農村を作ったことを別にすれば、身分や宮廷の喧騒から解放された穏やかな暮らしを求めた彼女の願いは、現代を生きる私たちの感覚とも、どこか重なるものがあると感じています。
もし彼女ではない誰かがフランス王妃になっていたとしても、当時の財政破綻と食糧危機という土台を考えると、フランス革命自体は避けられなかったかもしれません。それでも、マリーアントワネットという存在がいなければ有名な首飾り事件は起きなかったかもしれず、王妃がオーストリア女というそしりも受けることはなかったかもしれません。あるいは、こんなにもフランス革命という時代の王侯貴族の生活に注目自体が集まらなかったかもしれません。歴史にIFは存在しなくても、この系図の行きつく先が断頭台だということを想像すると、やるせない気持ちになります。
マリーアントワネット夫婦が断頭台の露と消えたのは、彼らの運命だったのか、今を生きる私たちにもどの程度の定めがあるのか、そんなことを家系図を作りながら考えてしまいました。
私がフランス革命にはまるきっかけとなった『ベルサイユのばら』は、そんな彼女の生涯を、今も多くの人に語り継いでいる作品あり、作品自体がこの半世紀の日本の文化を彩ってきた歴史となりつつあります。読み継がれていくこの名作を、まだ読んでない方にお勧めをして、この記事を一度締めたいと思います。
\激動のフランス革命を華やかに描く不朽の名作/
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン『バラを持つマリー・アントワネット』
Image: Wikimedia Commons / Public Domain https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Marie_Antoinette_Adult4.jpg
マルティン・ファン・マイテンス『マリア・テレジアの肖像』
Image: Wikimedia Commons / Public Domain https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kaiserin_Maria_Theresia_(HRR).jpg
カール6世の肖像
Image: Wikimedia Commons / Public Domain File:Workshop of Jacob van Schuppen – Portrait of Emperor Karl VI.png – Wikimedia Commons
レオポルト1世の肖像
Image: Wikimedia Commons / Public Domain File:Benjamin von Blockm – Leopold I, Holy Roman Emperor.jpg – Wikimedia Commons
エレオノーレ・マグダレーネ・フォン・プファルツ=ノイブルクの肖像
Image: Wikimedia Commons / Public Domain File:Eleonore of Pfalz Neuburg.jpg – Wikimedia Commons
ヨーゼフ1世の肖像
Image: Wikimedia Commons / Public Domain File:JosephI.1705.JPG – Wikimedia Commons
マリア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒの肖像
Image: Wikimedia Commons / Public DomainFile:Rotari Maria Josepha of Austria in Polish costume.jpg – Wikimedia Commons
マリー=ジョゼフ・ド・サクスの肖像
Image: Wikimedia Commons / Public Domain
File:Attributed to Louis de Silvestre – Marie-Josèphe de Saxe, Dauphine of France.png – Wikimedia Commons
ルイ16世の肖像
Image: Wikimedia Commons / Public DomainFile:Antoine-François Callet – Louis XVI, roi de France et de Navarre (1754-1793), revêtu du grand costume royal en 1779 – Google Art Project.jpg – Wikimedia Commons
フランツ1世の肖像
File:Meytens, circle of – Francis I, Holy Roman Emperor, c.1745.png – Wikimedia Commons
エリザベート・シャルロット・ドルレアンの肖像
File:Elle the Younger – Élisabeth Charlotte d’Orléans – Lower Saxony State Museum.jpg – Wikimedia Commons
オルレアン公フィリップ1世の肖像
File:Portrait painting of Philippe of France, Duke of Orléans holding a crown of a child of France (Pierre Mignard, Musée des Beaux-Arts de Bordeaux).jpg – Wikimedia Commons
ルイ13世の肖像
File:LouisXIII.jpg – Wikimedia Commons
アンヌ・ドートリッシュの肖像
File:Anna of Austria by Rubens (1622-1625, Norton Simon Museum).jpg – Wikimedia Commons
ルイ15世の肖像
File:Louis XV, King of France (1710-1774).jpg – Wikimedia Commons
マリー・アデライード・ド・サヴォワの肖像
File:Marie-Adélaïde de Savoie, duchesse de Bourgogne, l’école française.jpg – Wikimedia Commons
アンナ・マリーア・ドルレアンスの肖像
File:Regina Anna Maria di Orléans (1669-1728).JPG – Wikimedia Commons
ポーランド王アウグスト3世の肖像
File:King Augustus III of Poland.jpg – Wikimedia Commons
クリスティアーネ・フォン・ブランデンブルク=バイロイトの肖像
File:Silvestre, attributed to – Christiane Eberhardine von Brandenburg-Bayreuth.jpg – Wikimedia Commons
ゾフィー・ルイーゼ・フォン・ヴュルテンベルクの肖像
File:Sophie Louise of Württemberg-Stuttgart.jpg – Wikimedia Commons
エバーハルト3世の肖像
File:900-203 Herzog Eberhard III.jpg – Wikimedia Commons
アンナ・カタリーナ・フォン・ザルム=キルブルクの肖像
File:900-204o Anna Katharina von Württemberg.jpg – Wikimedia Commons
エリーザベト・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテルの肖像
File:Elisabeth Christine von Braunschweig-Wolfenbüttel – Wien Museum.jpg – Wikimedia Commons
クリスティーネ・ルイーゼ・フォン・エッティンゲン=エッティンゲンの肖像
File:Christina Louise of Oettingen-Oettingen.jpg – Wikimedia Commons
ヘンリエッタ・アン・ステュアートの肖像
File:Peter Lely – Henrietta of England, Duchess of Orléans – Goodwood House.jpg – Wikimedia Commons
ルイ14世の肖像
File:Louis XIV of France.jpg – Wikimedia Commons


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